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サヘル・ローズ物語 その波乱に満ちた生き方に感動!
本日、浜松市の国際交流協会の特別講演会で、サヘル・ローズさんの講演会を聴いてきました。1時間余りの講演でしたが、そのドラマチックな内容に思わす感動。内容の一部を披露したいと思います。
サヘル・ローズさんといえば、イラン出身のタレント、女優として、NHKの探検バクモンなどの番組に出演していることでも有名ですね。
今回、「外国人として日本で生きるということ」と題しての講演です。 生まれは、1985年となっていますが、確実ではありません。その当時はイランイラク戦争の真っただ中。両親は死亡しているし、記録もない。本人の弁によれば、4歳から孤児院で生活したとのこと。その孤児院で引き取ってくれる人を待っていたそうです。7歳のとき、現在の養母と出会います。この養母は、インテリで当時テヘラン大学の学生で、孤児院に来てくれたのですが、なかなか引き取ってくれなかったそうです。
孤児院の子供を引き取って養子にするには、3つの条件があって、一つは裕福であること。二つ目は、結婚していること。三つ目はこどもを持てない体であること。ということです。養母は三つ目の条件を満たしていませんでした。ところが、養母は、医者に行って、体にメスを入れてもらい、子供のできないからだにしてもらって、条件をクリアーしてということです。養母の思い入れはすごいですね。
養母に引き取られたものの、生活が厳しく、たまたま義父が日本(埼玉県)で仕事をしていた関係で、8歳のときに来日、義父と養母と3人で暮らすことに。1993年のことです。最初は、「おしん」のいる国に行けると意気込んでいたようですが、実際にはいなくてがっかり。また、日本の近代化に驚いていたようです。
日本では、留学生として小学校に入るも、言葉が分からず、身振り手振りで意思疎通しようとするも、文化の違いに戸惑うことが多かった。又、花火の音は、戦火を連想させるため、好きではないそうです。
その後、義父との生活でストレスがたまり、家を出ることに。そして公園で寝泊まりするようなる。お金がないため、スーパーの試食コーナーで食事の代わりをしたり、パンの耳を安く買って食べたりしていたようです。
そうこうしているうちに観光ビザが切れてしまうということに。ここで、給食のおばちゃんが手助けをしてくれる。弁護士代をもってもらい、在留資格を短期ビザから「技能」ビザに変更してもらうことに。というのも養母はイランで絨毯を創る技能をもっていたからです。
在留期間は問題なくなったものの、住居の壁が立ちはだかります。外国人には、なかなか貸してもらえないのです。ようやく借りることができたものの、トイレも風呂もないため、家の洗面台を風呂がわりにしたり、コインシャワーを使ったりと一苦労です。
母が働いているため、家で寂しい思いしていたサヘルは、無賃乗車で養母の勤務先にいくという冒険をします。これが結構うまくいくが、最後には見つかりお叱りを受ける。この時も、駅員さんが親切にも電車賃をだしてくれるという幸運に恵まれます。
サヘル・ローズさんの半生を見ると、苦難の連続ながら、節目節目で人に助けられて人生を乗り切っていく様子が見てとれます。「みんなに助けられて生きている。お互いに理解を深めながら生きていく。」彼女の人生観がそう言っているようです。
中学時代にひどいいじめにあったようですが、その点は今日の講演では触れられませんでした。サヘル・ローズさんのこれからの活躍を陰ながら応援したいと思います。
詳細は、「戦争から女優へ」という本に記載されているとのことです。ぜひ読んでみましょう!
23/05/22
23/05/20
23/02/27
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本日、浜松市の国際交流協会の特別講演会で、サヘル・ローズさんの講演会を聴いてきました。1時間余りの講演でしたが、そのドラマチックな内容に思わす感動。内容の一部を披露したいと思います。
サヘル・ローズさんといえば、イラン出身のタレント、女優として、NHKの探検バクモンなどの番組に出演していることでも有名ですね。
今回、「外国人として日本で生きるということ」と題しての講演です。
生まれは、1985年となっていますが、確実ではありません。その当時はイランイラク戦争の真っただ中。両親は死亡しているし、記録もない。本人の弁によれば、4歳から孤児院で生活したとのこと。その孤児院で引き取ってくれる人を待っていたそうです。7歳のとき、現在の養母と出会います。この養母は、インテリで当時テヘラン大学の学生で、孤児院に来てくれたのですが、なかなか引き取ってくれなかったそうです。
孤児院の子供を引き取って養子にするには、3つの条件があって、一つは裕福であること。二つ目は、結婚していること。三つ目はこどもを持てない体であること。ということです。養母は三つ目の条件を満たしていませんでした。ところが、養母は、医者に行って、体にメスを入れてもらい、子供のできないからだにしてもらって、条件をクリアーしてということです。養母の思い入れはすごいですね。
養母に引き取られたものの、生活が厳しく、たまたま義父が日本(埼玉県)で仕事をしていた関係で、8歳のときに来日、義父と養母と3人で暮らすことに。1993年のことです。最初は、「おしん」のいる国に行けると意気込んでいたようですが、実際にはいなくてがっかり。また、日本の近代化に驚いていたようです。
日本では、留学生として小学校に入るも、言葉が分からず、身振り手振りで意思疎通しようとするも、文化の違いに戸惑うことが多かった。又、花火の音は、戦火を連想させるため、好きではないそうです。
その後、義父との生活でストレスがたまり、家を出ることに。そして公園で寝泊まりするようなる。お金がないため、スーパーの試食コーナーで食事の代わりをしたり、パンの耳を安く買って食べたりしていたようです。
そうこうしているうちに観光ビザが切れてしまうということに。ここで、給食のおばちゃんが手助けをしてくれる。弁護士代をもってもらい、在留資格を短期ビザから「技能」ビザに変更してもらうことに。というのも養母はイランで絨毯を創る技能をもっていたからです。
在留期間は問題なくなったものの、住居の壁が立ちはだかります。外国人には、なかなか貸してもらえないのです。ようやく借りることができたものの、トイレも風呂もないため、家の洗面台を風呂がわりにしたり、コインシャワーを使ったりと一苦労です。
母が働いているため、家で寂しい思いしていたサヘルは、無賃乗車で養母の勤務先にいくという冒険をします。これが結構うまくいくが、最後には見つかりお叱りを受ける。この時も、駅員さんが親切にも電車賃をだしてくれるという幸運に恵まれます。
サヘル・ローズさんの半生を見ると、苦難の連続ながら、節目節目で人に助けられて人生を乗り切っていく様子が見てとれます。「みんなに助けられて生きている。お互いに理解を深めながら生きていく。」彼女の人生観がそう言っているようです。
中学時代にひどいいじめにあったようですが、その点は今日の講演では触れられませんでした。サヘル・ローズさんのこれからの活躍を陰ながら応援したいと思います。
詳細は、「戦争から女優へ」という本に記載されているとのことです。ぜひ読んでみましょう!